奉仕関連事業

足羽山・アジサイ看板の改修

足羽山の登り道に建っている福井ロータリークラブ寄贈の3枚の看板。足羽山と福井市の花「アジサイ」を愛でていただくことを願って建てられています。
平成元年(1989年)に初めて建てられましたが、それから25年間の風雨にさらされて錆や汚れが目立つようになりましたので、2014年5月に修復させていただきました。2020年10月末日に看板3基の錆取り、塗装を行いました。今回は、より明るいグリーンで塗装を塗り直し、色鮮やかに仕上がりました。
今後とも、足羽山とアジサイの花ともども可愛がってください。

アジサイ看板(2枚)の記載文

福井市の花〝紫陽花〟(アジサイ)

福井市のシンボル足羽山に福井市の花アジサイを、きれいにいっぱい咲かせたい。そして多くの人から愛されて沢山の人が訪ねてくれる見事な足羽山、福井市になって欲しい。
福井市の花アジサイは昭和54年6月1日市制90周年の折、市民アンケートによって市の花に選ばれました。

福井ロータリークラブ

足羽山・アジサイ看板 画像1

足羽山看板(1枚)の記載文

足羽山の由来

足羽山は悠久の昔より、郷土の人々と密接な繋がりを持ってきた。この山の各所に点在する大小多数の古墳は、五世紀頃、山麓に生活した人々が、父祖の遺骸を葬ったものであるし、東北端の足羽神社は、千年以上も前の史蹟に登場する古社である。
中世期末、朝倉氏や一向一揆を討伐した織田信長や、柴田勝家の北の庄を攻囲した豊臣秀吉は、この山に本陣を置き、軍兵を指揮したと伝えられる。近世以降、名石「笏谷石」の採掘がこの山で本格化し、幕府への重要な献上物となり、また、点在する古社寺を中心に、山中随所に名物を商う茶屋が出現し、城下士民の遊息の場となった。
足羽山が、今日のごとく公園化されたのは、明治四十二年九月のことで、皇太子殿下(後の大正天皇)の本市行啓を記念し、多数の市民児童の労役奉仕を得て、整備されたものである。

福井市

足羽山看板

四つのテスト(その言行に照らして)

1. 真実かどうか
2. みんなに公平か
3. 好意と友情を深めるか
4. みんなのためになるかどうか